民に寄りそう
四季の移ろいとともに
千三百年あまり
上越市で古くより天神様と慕われております
菅原神社は、主祭神に「天穂日命(あめのほひのみこと)」、配祭神に「菅原道真」、「菅原道雄」、合祀祭神に「伊邪那岐命」などを祀った神社で、延喜式神名帳に登載され古くより菅原天神と崇められています。
明治16年の『神社明細帳』では、天武天皇3年(675)の創祀。『菅原神社取調書』では、文武天皇3年(699)の創祀とされ、いずれにしろ、式内社・菅原神社に比定されている古社。
元来「菅原神社」と「菅原道真」とは無関係なのだが、御子と伝わる「菅原道雄」が、当社の祝を兼務したことから、菅原天神と称されるようになったという。
明治5年3月18日、火災により焼失したが再建され、同年郷社に列し、昭和18年7月県社に昇格した。明治41年に大字岡嶺新田熊野社と合併し、祭神を合祀する。旧熊野社は、飛地境内社「岡嶺観音堂」として存続し耳に係わる信仰を得ている。大正元年に大字荒牧の十二社、八社を合祀した。
古くより伝わる神聖なる神社
菅原神社は、新潟県上越市清里区菅原字天神林に鎮座している神社です。神社は創建が天武3年(675)に勧請されたと伝えられる古社で、境内には、菅原古墳(新潟県指定史跡)と呼ばれる前方後円墳(全長約30m)があります。周囲には150基もの古墳があった事から、当時の豪族と関係が深かったと考えられています。
当初は豪族の氏神が祀られていたと思われますが、道真公の後裔が越後の郡司になった折、菅原神社と関係した事や、周辺一帯が菅の群生地で、菅原と呼ばれていた事から道真公の御霊を祭り、菅原天神と称するようになったと伝えられています。
延長5年(927)に延喜式神名帳に記載され、越後国頸城郡13座の一つとして周囲の信仰の対象となり、歴代領主からも崇敬され、貞治5年(1366)に当時の越後国守上杉左近将監は、自らの祈願所として社領200石が寄進され、社運も隆盛しました。
天正元年(1573)の落雷による火災で、多くの社殿が焼失し、一時衰退しましたが、江戸時代に入り、高田藩(当時は福島城、後高田城が拠点)から庇護された事で再興、例祭の際には、奉幣使差遣、幣帛料が献納された。当時の家老、堀監物直政が、慶長14年(1609)に贈った社領寄進状(2石5斗)が社宝として残っている。
長らく、神仏習合し菅原天神と称されていましたが、明治初頭に発令された神仏判然令後は、菅原神社として、明治6年(1873)に村社、昭和18年(1943)に県社に列しています。現在の拝殿は、昭和14年(1939)に造営されたもので、切妻、鉄板葺、平入、桁行4間、正面1間切妻向拝付。外壁は真壁造り素木板張り。
本殿は、三間社神明造鉄板葺き(当初は、萱葺きであったが後に鉄板で覆う)で、明治38年に、旧高田市出身、日本銀行設計技師長野宇平治博士に設計を依頼、明治41年遷座。現存の数少ない、長野博士設計の建造物です。
境内には、前方後円墳(県指定文化財)や縄文時代炉跡があります
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神社概要
名称
菅原神社
電話番号
025-528-7075
住所
〒943-0506 新潟県上越市清里区菅原108
交通
上越ICから車で15分
上越高田ICから車で15分